作品を観たきっかけ
オダギリジョーさんのインタビュー記事をネットで読んで、観に行きたいと思いました。
ざっくりどんな話?
障がい者施設・やまゆり園での殺人事件を元にした、辺見庸さんの小説”月”が原作の映画です。
スランプ気味の小説家・洋子(宮沢りえ)が障がい者施設で働き始め、職員による入所者への暴力などを目にし、施設長へ言及しますが聞き入れて貰えません。自身の妊娠や夫との関係等も考える中、同僚の一人さとくん(磯村勇斗)に変化があって、事件へと発展していきます。
感想
この作品を観たのはだいぶ前になりますが、気持ちを整理するのが難しくてなかなか感想を書けずにいました。
小説家が主人公で、二階堂ふみさん演じる同僚もまた小説家を目指す女性です。書くということについて話し合う場面が印象的でした。この作品の中でも、きっとこれまでに様々な施設で問題になってきたことや、職員のストレスなどが描かれていて、観ていて苦しくなる場面が沢山ありました。
キャストが豪華すぎる
宮沢りえ、磯村勇斗、二階堂ふみ、オダギリジョーっていう並びを見ただけで、この映画にどれだけ力が入っているのか想像できますよね。
言わずもがなで、皆さん素晴らしかったです。二階堂ふみさんのじわっと嫌な感じとか、磯村勇斗さんは難しい役だったと思いますが見事でした。
自分は対応できるのか
自分の家族がコミュニケーションを取るのも難しい状態になってしまったら、私はどう対応するだろうか?例えば自分や、自分の家族が他人の助けを借りなければ生きていかれない状態になった場合、どう対応するだろうか?
自分や、身近な人がいつ施設にお世話になるかもしれないのだから、無関心でいてはいけないし、これまでの自分の無関心を反省しました。
正義とは何なのか?幸せに生きるとはどういうことなのか?人間とは何なのか?
本当に様々なことを突き付けられる作品でした。
人が人の価値を決めるなんてあってはならないと思いますが、人が皆生き易い世の中になるために自分は少しでも役に立てているのだろうか?
無価値の人間なんていない
私の家には猫が2匹います。当たり前ですけど、猫に生産性なんて求めません。
人間が生きていくには、仕事をして自分の生活費を稼いでいかなくてはならないのは当然ではありますが、様々な事情でお金を稼ぐという行為ができない人がいると思います。その人達は生産性がないのかもしれませんが、だからと言って人間として無価値になるわけではないと思います。
猫は言葉を話しませんがコミュニケーションは取れます。
コミュニケーションが取れない人間は無価値なのでしょうか?
意思疎通を図れない相手でも、こちら側が感じる事、考えさせられる事で生まれる何かがあります。
何度も考えましたが、意思疎通が図れないから、生産性がないから人間として無価値ということはないと思います。
人間が人間の価値を決めるって、なんて傲慢な行為なのだろうと思います。
少しでも正しく、人に優しく生きたいと考えさせられる映画でした。
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