読んだきっかけ
映画「花束みたいな恋をした」で、今村夏子さんの名前が出てきます。
「きっとその人は今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じない人だと思う」というセリフが2回出てきたのが気になって調べたところ、「ピクニック」は「こちらあみ子」(短編集)に編纂されていることを知りました。
つまり、「ピクニック」が読みたくて「こちらあみ子」も読んだのですが、結果としてもう一篇の「チズさん」も含め、この短編集はどれも凄い作品でした。
ざっくりどんな話?
主人公のあみ子は、個性強めの女の子。同級生たちに「あみ子の馬鹿」などと言われることもあるが、優しい兄や父に守られて暮らしている。
しかし、母の死産をきっかけにあみ子の周辺には変化が訪れる。
同級生と母との関係
広島弁に救われます。もしも標準語でこの物語が語られていたら、きつくて読めなかったかもしれません。幼少時のお兄さんは根気強くあみ子の相手をします。その広島弁でのやり取りがのどかで心温まります。
読み進めるうちにあみ子の言動のズレが際立ち、教師や同級生はあみ子を叱ったり、気持ち悪いと言ったり容赦ありません。子供ならその反応も仕方ないと思ってしまうのですが、あみ子は全く気にすることなく、初恋ののり君しか目に入らない。
のり君にももちろん全力で拒否されているのですが、あみ子は全く気にしない。
継母であるあみ子の母とは良い関係を築きそうになるのですが、意図せずあみ子の手で壊してしまう。
簡単に表現してしまうと、発達障害のある女の子が周囲に理解されず、周囲との関係性も徐々に崩壊していく様が描かれた作品なのですが、この作品は徹底的にあみ子の目線で描かれていることで、あみ子の気持ちを追体験できます。あみ子に悪気がないことが分かるだけに、読んでいて本当に辛くなります。
どんどん絶望的な状況になっていく様が、前半の幸せな時間との対比となってますますしんどくなり、これから何が起こるのか不安になりました。
「トカトントン」以来の衝撃
遥か昔、私が中学生の頃に太宰治さんの「トカトントン」を読んだ時以来の衝撃でした。
「トカトントン」を読んだ時はぞわぞわする不安と、これまでにない共感の感覚で混乱しました。
「こちらあみ子」は読後感が独特過ぎて混乱してしまい、もう一冊即ポチして読書家の友人に送りつけて感想を求めたくらいです。笑
40年を超す年月の間それなりに本を読んできましたが、なかなかこんな作品に出会うことはありません。
ただ、誰にでもお勧め出来る作品ではないことは確かです。
文学オタク気質で、物事の裏の裏まで考えてしまうような人に是非読んで貰いたい作品です。
一応言いますが、褒めてます!笑
むしろ最大級の賛辞です。
「こちらあみ子」は純文学
所々に希望がチラついているのだけど、あみ子が壊してしまったり、投げられてしまったり、気づかなかったり。
今村夏子さんの視点はどこまでも冷徹だと思います。そして同時に優しい。
優しいからこそ、あまりにも無慈悲な現実を捉えて文章にして、読者に突きつける。
映画になり、評判も良いみたいですが、私は全然良いと思えませんでした。
文学には文学の世界観があって、映画監督の価値観で全く別物にするか文学の世界観を壊さずに表現するかの二択であると思いますが、私にはどちらでもないように思えました。
私は文学だけではなく映画も大好きなので、残念でした。違う監督で映画化して欲しかったと思います。
読後のモヤモヤが醍醐味
今村夏子さんは、稀有な作家であると思います。
読後感は良い意味で良くありません。笑
”じゃあ、どうすれば正解なのか”と考えさせてしまう、提案型の作家だと思います。
その提案の仕方が、必要最小限の文章なので読者の技量を問われます。
なので、「こちらあみ子」を読み、他の小説もまとめて購入しましたが、自分のコンディションを整えてからじゃないと読めないので、少しずつ読んでいます。
是非、今村夏子さんからの勝負に挑んで下さい。素晴らしい読書体験が出来ます。
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